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  • 執筆者の写真Bicicletta Buna

ツール・ド・おきなわ

更新日:3月24日


ツール・ド・沖縄に行ってきました。

結果は、市民100kmオープンに出場、135位で完走(完走168人)。

毎度の事ですが、後ろから数えた方が早い下位ゴール (笑)

でも、無事完走出来てホッとしています。


というのも、毎年暑さでやられる沖縄が、今年は日中でさえ気温20度前後、おまけに朝から強い風と雨に降られ、寒さに凍えながらスタートを待つという異例のコンディションだったのです。


毎年、足攣り防止のサプリやら、日焼け止めやら暑さ対策をして臨むレースなのに、アームカバーにキャップ、寒さしのぎにTシャツを重ね着して、ビニール袋を体に巻き、さらにレインジャケットを着てスタートという、いままで経験したことのない沖縄でした。


今回は、レース前日の土曜日に現地入りして、日曜日の夜には東京に戻るという弾丸ツアー

💦

羽田発6:45分の飛行機で沖縄に向かいます。


以下、参加レポートです。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


レース前日、メイン会場の名護には昼過ぎに到着。

しかし午後は生憎の雨。バイクの準備もあるので雨はなかなかしんどい。

選手にあてがわれる駐車場は漁港の空き地なので屋根なし。

名護市の市民開館の軒下を借りてバイク組み立てです。


どんより。

ちなみに、この裏の浜はとてもキレイで、毎年ゴール後に必ず訪れるスポット。意外と知られていないようです。


受付を済ませててから昼食。名護市役所の先にある宮里そばで。地元の人が通う素朴なお店。


今回はソーキそば。旨いです。ザ・沖縄そばという感じ。名護を訪れた際はおすすめです。



夜は宿でゼッケンなどの準備。


枕にジャージを着せると、ゼッケンが付けやすいのです(胴体と同じ位のサイズ感)



実はソックスを忘れてしまい、夜、名護の街に繰り出して衣料品の店で急遽スポーツ用ソックスを調達。


東京にいた時に既に雨予報が出てたので、レインウエアも必要かな?と、思い、念の為古いレインウエアを荷物に入れておきました。ただ、ゴールまでは着続ける事はないと思ったので、途中で走りながら脱ぎやすいように、袖をカットしました。


そしてキャップ。雨が降るとヘルメットの端からダイレクトに雨水が垂れて目に入っしまうので、キャップのツバでガード。

頭が蒸れないよう、頭頂部はカット。

レースの為には、割と思い切った事しちゃいます(笑)


<レースレポート>

100kmのスタート地点は、奥という集落。メイン会場の名護から60kmくらい先にあります。

選手はレース当日、140kmのスタート地点である国頭村の奥間(名護から30km位)から、更に30分位かけて送迎バスで100kmのスタート地点の奥まで移動します。


通常は、レース当日動きやすいように、100km、140kmの選手は奥間周辺の宿泊施設に泊まるのですが、今年はパターンを変えて名護宿泊としてみました。

朝早くに一度奥間までタクシー移動する手間はありますが、レース前日は名護でゆっくり出来ます。

今回は、コースの下見をする時間もあったほど時間も取れてゆっくり出来たので、良かったです。

来年もこのパターンかな?

忘れ物をしても買い出しが出来るし(笑)


<スタート前>

朝3時半時起きで軽めの朝食、そして奥間にタクシーで移動。奥間には交通規制があるので6時までには着く必要がありますが、今回は5時過ぎには到着。さすがにちょい早すぎた^^;

その後6時過ぎからバスで更に奥に移動。

スタートは9時45分。長い待ち時間です。


雨。待っている間が寒い



本降り。多くの選手は防寒着を着たり、使い捨てのカッパなんかを着て寒さをしのいでました。以前、やはりスタート前に寒かった年があり、それ以来、スタート前の防寒対策は最低限準備するようになりました。が、今年はそれを上回る寒さ。

開館前の施設を開けて頂いて館内で暖を取れたので助かりました。



結構本降り。

選手によって着るものはまちまちですが、私はアームウォーマーを着け、夏用アンダーウエアの上に参加賞で貰ったTシャツを重ね、その上からビニール袋を身体に巻き、その上にジャージを着て、更にレインウエアを着てスタートしました。

以前、雨のレースを低体温でリタイアした事があるので、寒いよりは着ておいた方がマシ、と考えました。


<スタート〜与那の登り>

スタート後4kmほどの登り、後は次の与那の登りまで20km位平地が続きます。

この区間は下位集団でも時速40km/hオーバーで進むので流石にこれだけ着込んでいると暑くなってきます。

途中、集団から5人位で抜け出た時があり、集団の後ろに下がったタイミングで走りながらレインウエアを脱いで背中のポケットに。袖を切っていたので割とすんなり出来ました。


結局、与那までの海岸線は30〜40人くらいの集団で進行。といっても、既に最終集団っぽい。

与那の登りはこの集団の10番手辺りでスタート。


<与那の登り>

有名な普久川ダムへの登り。10番手スタートなので、後ろにまだ30人はいると考え、無理に前を追わず、かといって後ろに抜かれないようなペースで進行。

与那の登りの先は平地、下りがあり単独になるとペースが落ちてしまうので、いずれ集団に合流する事になる想定で淡々と登る。


普久川の補給でボトルを受け取ると、その時に5〜6人の集団が形成されそうだったので、ちょっと距離があったけどボトルを受け取ってから猛追!

どうにかその集団に喰らいつく。少し人数が少ないかな、と思われたけど、この先単独走の方がロスが大きいので、ここはちょっと無理してでも追いついておきたかった。

練習でやった30秒走が役立ちました。

ちなみに、補給でもらった水は飲む事なくゴールへ。今年に関しては寒かったので結果的に要らなかったですね。



<学校坂〜高江〜慶佐次>


普久川ダムを下って学校坂を登った後、次のアップダウンの区間に入ると乗っていた集団のペースが速くなり、着いて行けずジリジリと後退。

くそ〜、と思いながらも、無理に千切れた集団を追わず、与那の登りで後ろにいた20人の集団が来るはず、と考え待つ事に(後ろに迫ってます)。


予想通り、100kmオープンの大き目の集団。これに吸収されて高江〜東村としばらく進行。


このまま70km地点の慶佐次の補給まで行ったものの、その後この集団からもジリジリと遅れ、少人数でゴールを目指すという展開に。

おそらく、この集団が100kmオープンの最終集団。こうなると、もう後ろには大きな集団はないので、自分の力でゴールまで辿り着くしかない。

残念ながら、今の力ではここまでで精いっぱい。


<慶佐次〜大浦>


大浦湾の辺り。

大きな集団はなく、自分と同じように単独になった選手が、パラパラと走っている状況。

ただ、ここまで来ればゴールまであと20km位。時間も余裕があるはずなので慌てず少ない人数で先頭交代しながら最後の坂に備える。

もう少し集団で行きたかったけど、自分の力不足。とりあえず完走目指して淡々と先頭交代を回す。


<羽地の登り〜ゴール>

ラスト5kmは下りと平地。例年なら、灼熱の日差しが照りつけ、足の攣りをこらえながら必死に登る坂ですが、今年は小雨の中。

動かなくなってきた身体に鞭打って登ると、雨にも関わらず大勢のギャラリーが。

途中、ギャラリーから差し出されたコーラを一気に飲み干し残り5kmの看板を過ぎると、あとは名護市街へ下り、国道を2kmほど走ってゴール。

制限時間は割と余裕があったようですが、順位は大分下。

でもとりあえずこの気候の中、落車、メカトラなくゴールに辿り着いた事にまず安堵。

でももう少し集団に食らいつきたかったという悔しさが交錯しつつ、、、

ゴール後身体が冷えてしまいそうなので、早く車に戻って着替えたい!との思いが強く、

そそくさと完走証をもらい撤収(笑)

車に戻り着替えました。


今回のバイクは、2010年モデル。PINARELLO DOGMA60.1。

初めて沖縄に出た2011年もこのバイクでした。”型は古いが時化には強い”かな?




車に戻ってびっくり、どうやら前輪はパンクしていたようです。どこでパンクしたのかは不明。


今回、チューブレス仕様にして、空気圧も5気圧にセット(サイズは25c)して走っていたので、元々が柔らか目で気付きにくかったのかも。

ちなみにパナレーサーアジリストDUROですが、雨で滑りやすい沖縄の路面でも滑る事なく走り切れました。高いグリップ性能に助けられました。

良いタイヤです。


レース後の表彰式とふれあいパーティー。毎年、沖縄の知り合いの方と色々話して過ごすのですが、今年は夜の飛行機で直帰だったのでゆっくりしてられず、すぐ帰らなければならなかったのがとても名残り惜しい。



メイン会場向かいの21世紀の森公園の浜、すごくキレイで良い所。


毎年、レース後ここで夕暮れの海を見る時の解放感が、実はとても好きです。

今年も頑張ったな〜、と感慨に浸ります。

ちょい天気が残念でしたが^^;


そしてこの辺、野良猫のパラダイス、猫好きにはたまりません





なぜ沖縄なのか?


沖縄に出始めたきっかけは、2009年に参加したイタリアのグランフォンド・ピナレロに遡ります。

ヨーロッパのグランフォンドは、一大サイクリングベントではありますが、公道規制で行われるレースでもあります。レベルがとても高く、210kmのレースをかろうじて完走した私には、あまりにも刺激が強すぎました。

もう辞めたい、どころか、もう一度ここを走りたい、という思いに駆られてしまい、どうしたらこの舞台に近づけるだろうと考えた先にツール・ド・沖縄がありました。


日本にも、公道クローズの200kmのレースがあるじゃないか。

200kmはレベルが高すぎるので、140kmから参戦を始めたのが2011年。以降、140kmには8回出場して、どうにか完走は7回。以降、100kmにクラスを変えて今年で3回目。

沖縄に挑戦してわかったのは、沖縄も非常にハイレベル。コースも、出てくる選手も。

私など、とてもレースに参加できる力はなく、いつも時間ぎりぎりで完走するのが精いっぱい。なかなか200kmにたどり着けない。いまは100kmでもやっと完走。

でも、そこに向けて練習をして、苦しんでレースを走り、走り切ったあとの爽快な感じ、達成感が、なんだか病みつきになってしまいました。

そして、一緒に走った人たちとの結びつきも出来て、回を重ねるたびに色々な思い出が増えて行きます。

ツール・ド・沖縄が30年以上続いてきた歴史は、地元の人たちの協力とご厚意があってこそ。毎年、温かい沿道の声援には元気づけられます。

こんな大会は、なかなかないです。

大会の雰囲気がとても好きなんです。


ヨーロッパのグランフォンドは未だにあこがれの舞台であることに変わりはないのですが、沖縄に参加していくうちに、いつしか沖縄が自分にとっての1年の目標となり、自転車を続けていくモティベーションの一つとなりました。

だから、身体が動くうちは、ずっと挑戦し続けます。


2020年、2021年はコロナで大会が中止となりましたが、その年は本当に自転車に乗りませんで(笑)ラジコンに耽った年でした。

ラジコンも好きですが、やはり自転車が楽しい。


来年もまた頑張ります。






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