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執筆者の写真Bicicletta Buna

TREVISO

更新日:3月24日

❝TREVISO❞と聞いてすぐにピナレロを思い浮かべた方は、かなりのピナレロ好きです。


ピナレロ発祥の町、TREVISO。


私も一度だけ、トレビソの街、そしてピナレロショップに行った事があります。2009年、グランフォンドピナレロという大会に出場したのですが、その時のツアーで連れて行ってもらいました。

このツアーでは、他にピナレロの本社やカンパニョーロの本社、エリート本社、フィジーク工場見学など盛り沢山の内容でしたが、トレビソ訪問はとても印象に残っています。


その当時は、ピナレロの創始者、ジョバンニ・ピナレロ氏がまだ健在で、たまに店に出てくるよ、という話を聞いていたのですが、その日は気を遣ってくれたのか、お店に出て来てくれていました。


もう15年前の話で恐縮です。

ショップにはジョバンニ氏がジロ・デ・イタリアを最下位で完走した際に着用したマリア・ネッラと呼ばれる黒いジャージも飾られていました。

2016年、長い間封印されていたこのジャージが突如復活し、その年のジロを最下位で完走した日本の初山翔選手が着用したことで再び話題になったジャージ。


マリアネッラは、屈辱のジャージと解釈される事もあったようですが、興味深い逸話が残されています。

プロ選手を引退後、ジョバンニ氏が立ち上げたピナレロが、イタリアだけでなく世界を代表するブランドに成長したのは周知の通り。

ジョバンニ氏の大先輩でもあり、当時ファウスト・コッピと共にイタリアで人気を二分していた英雄、ジーノ・バルタリは、自転車製作で名声を得たジョバンニ氏に対して


「君のジロはマリアネッラだったが、君の人生はマリアローザだ」


という言葉を贈ったといわれています。

すごく、粋ですよね〜!

こういった逸話を聞かされると、ますますピナレロが好きになると同時に、同じステージで戦ってきた仲間をリスペクトして、こういう気の利いた台詞がさらっと出てくるチャンピオンの懐の深さ、そうした人達の元に成り立つヨーロッパの自転車競技の奥深さを改めて思い知らされます。


大分話が逸れましたが、かつて、そのピナレロ発祥の地❝TREVISO❝を冠したクロスバイクがありました。


その、トレビソのメンテナンス依頼です。

元々はフラットハンドルがついたクロスバイクだったのですが、お客さんのご希望によりドロップハンドル、STIレバー使用にカスタムされています。

しばらく乗っていなかったのですが、また通勤バイクとして活用したいので、メンテよろしく!とのことでお預かり。


全体的に汚れ気味ですが、チェーンは伸びておらず、タイヤも使えそうでしたのでこのまま行くことに。そうなると、洗車ベースのLEVEL2+αで行けそうです。






まずは洗車







ホイールのグリスアップ


ヘッドのベアリングがゴリゴリになっていたので交換。この頃のピナレロは圧入タイプのベアリングを使用していて、交換はちょっとコツがいります。

久々の作業でした




シマノ・STー5700のネームプレートがなくなっていました。


が、シマノさんが在庫持っていました。助かります。




復活!



ケーブル類は交換



マット塗装ですが、汚れを落とせるところはしっかり落として完成









海外メーカーのバイクは、地名をバイクの名前にするパターンが結構多い気がします。

名前からイメージすることは人それぞれ。

今回は、自分の自転車人生に多大な影響を与えたイタリア、ピナレロ訪問を、トレビソの名前を聞いて懐かしく思いながらの作業となりました。




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